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  私 が 出 来 る こ と

 
 私が父に対して出来ることのなかで、これだけはどうしても手抜きが出来ないという事柄が一つある。それが『料理』である。
 今でこそ、一通りの家事が出来るようになった私だが、かつての私は本当に何も出来ない人だった。特に、料理に関してはほとんど興味が無かったし好きでもなかった。どちらかと言うと苦痛で、自分から好んですることはほとんど無かった。母の体調が悪いときでさえ、自分から進んで料理をした記憶が無い。(今となっては大変申し訳なく思っていますです・・・ハイ)
 何も出来ないそんな私が20代前半に結婚をした。これで料理の腕も上がるかと思いきや、結婚した旦那様は好き嫌いの多い偏食者で、私の数えるほどのレパートリーでクルクル毎日をこなせ、「納豆さえあれば十分!」という納豆好きな人だった。わざわざ旦那様のためにと作った新たなメニューも、(彼にとって)余計なものを入れたり余計な手を加えたりすると、とても嫌がられた。
 そんな「毎日納豆でもいい!」的な好き嫌いの多い偏食者の彼に対して、当時の私の料理技術では、到底彼の口に合うような気の効いたものなど作れるはずもなかった。それに、(栄養満点の)納豆さえあればそれで良いわけで、固定されたレパートリーの数以上の必要もない!・・・とくれば当然の結果、料理に興味を持つ必要の無い環境である、私の腕も上がるはずはなかった。
 独身時代も結婚時代も含め、そんな料理の腕しかない私が、たまに実家で食事を作ることがあった。(半分は致し方なくの嫌々だったが・・・)
 そんな時「何が食べたい?」と、私が父にリクエストを募ると、父は必ずこう答えた。『なーんでもいい!』『作ってくれるものは、なーんでも美味しい!』と。
 普段から人にお世辞を言ったり、人をおだてたりする事のない父には珍しく、この時ばかりはとても前向き(?)な発言だった。過去数回同じことを聞いたが、私の記憶に残る限り、父は毎回同じことしか私に言わなかった。
 数少ない娘の手料理に、父は飢えていたのか!?はたまた、料理を苦手とする私に対する気休めだったのか!?しかし、こう言われるたび、私はなんだか気恥ずかしさを感じつつも、心の中ではちょっと嬉しくもあった(みたいだ)。
 それを証拠に、父に対して食事を作るたび、あの時の『なーんでもいい!』『作ってくれるものは、なーんでも美味しい!』と言ってくれた父を、今になっても必ず思い出す。そして、あの頃の父には食べさせてあげられなかった『美味しい手料理』を作ってあげたい!と、心の底から思うのだった。
 当時、苦手意識いっぱいで嫌々作っていた、昔の私の手料理。今も決して得意とは言えないけれど、みみかの存在と不殺生菜食の取り組み(※)のおかげで、それなりに楽しく美味しく料理が出来るようになった、今の私の手料理。きっと、さぞかし、間違いなく、お味も違うことでしょう!何と言っても、父に対する思いの入った今の私の手料理は、過去のもののそれとは雲泥の差でしょうから。
 私の手料理を口に運ぶ父に「美味しい?」と尋ねると、『ウーン!』と大きくうなずいて美味しいよ!という笑みを浮かべる。ちゃんとした言葉が出なくなった父ではあるが、言葉にすれば『なーんでもいい!』『作ってくれるものは、なーんでも美味しい!』こう言ってくれているに違いない。
 今日は疲れているからちょっと手を抜こうと頭で考えても、心があの時の父の言葉と父の表情を思い出し、『あの時の父に報いたい!』『私が出来る唯一のことをしてあげたい!』そう思ってしまう私がいる。ゆえに、父の食事を作る際の料理には、絶対に手抜きが出来ない私なのである。

(※)不殺生菜食の取り組み・・・・生命(いのち)を守る・生かす・殺さないという思いから、「不殺生菜食者」として動物性の肉食をしない菜食の食事をしている、いわゆるベジタリアン。



 
   
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