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  『 哀 し い 気 持 ち 』 と 『 違 和 感 』 と 『 無 償 の 愛 』

 
 父の果てしない『物欲』に対抗するため、試行錯誤で対応してきた作戦の数々。その後、相変わらずの『物欲』を顕にしていた父に対し、本当に無くなっては困るものや大事なものを、各自の自己管理の徹底の元、ある程度の放任で父の遊び場として範囲を広げ提供し、父の『物欲』への対抗処置を緩和してみた。
 すると、マインドコントロール的な表情の父は姿を消したが、『自分の物は自分の物・人の物も自分の物』という子供らしい『物欲』は、やはり変わらずそのままだった。父の手によって本棚から取り出された大小様々な本が、どんぐりを口いっぱいに頬張るリスのように、父の衣類のポケットというポケットに次から次にとパンパンに詰め込まれた。その姿には、苦笑しつつも思わず吹き出してしまえる滑稽さがあった。
 ズボンのポケットいっぱいに詰め込まれたどんぐり・・・いやいや本たちの重みで、ずり落ちてくるズボンを指差して、母に苦情を訴える父。『このズボン、ゆるいぞ!落ちてくるぞ!』と言葉にはならないが、父から伝わる怒りのお姿に、『そりゃあ〜、お父様!そんだけ沢山詰め込んだら、ゴムの力もかないまへん!』と、心の中でツッコム私。

      

 ある種の滑稽さと明るさ(?)を取り戻した父の姿に、ちょっと安堵な気持ちの私ではありましたが、正直なところ、常に私の心の中にあったのは、『哀しい気持ち』と『違和感』なのでありました。父の行動に対抗・対応・対処するたびに、いつも心に残る後味悪い気持ちと『違和感』。
 本当のところ、どうしてあげたらいいのか?本当にこの対処の方法でいいのか?【父に対して、一番いい対応の仕方が分からない!】そんな気持ちが溢れ出してきて、悲しくて、淋しくて、切なくて、なんとも言えない『哀しい気持ち』が心を満たした。どうしたらいいのか、これでいいのか、『分からない』という『違和感』は、私の心にいつまでも残り後を引いていた。
 私の目の前に現れる、子供のような父。そんな父の遊びたい思いや『物欲』からの行動を、【満足させてあげたい!満たしてあげたい!】というのがホントのところ。
 しかし、私の本音を生かそうと思えば、必ず絶対、何かしらの支障が出る。父の子供のような『物欲』に振り回され、家の中では宝探しの連続になり、かくれんぼの延長になり、昼夜逆転に動き回る超人の父に、家族は疲れ果てることだろう。
 対応の仕方が『分からない』という『違和感』は、私が取っている父に対する対処法や行動が、私の本音とは違うことをしなければならない『違和感』であり、それを感じながらしている行為が、本当に正しいことなのか『分からない』ということでもあった。私は自分の本音をちゃんと『分かっている』。それなのに矛盾したことをしているのだから、『違和感』を感じるのは当然だった。
 結局のところ、そういう本音がありながら、私が取る対処法や行動は、父の目に触れないよう物を隠したり、あらかじめの思惑で父の行動を阻止したりするしかなかった。でもそれは、本音とは明らかに矛盾した、正反対の対処法や行動を取ることになる。
 私の本音を生かしつつ、父にとっても周りにとっても一番いい方法、そんな良い方法は本当に無いのだろうか?対応の仕方が『分からない』という『違和感』は、私の心を重くした。そして何よりも、自分の本音と矛盾したことを敢えてしなければならない『哀しい気持ち』の方が、はるかに重く私の心を締めつけた。
 それに、連日の父の行動に若干疲れ気味になると、私自身にも無意識に意地悪心が出てくることもあった。
 例えば、【夜中に目覚めてしまい活動を始める父に】
暗いので電気を点けてあげよう!寒いのでストーブを点けてあげよう!眠れないなら一緒に起きて共に時間を過ごしてあげよう!・・・というのが奥底の本音!
 でもね、【実際やりがちな対処法と行動は】
「まだ暗いのに〜」と 寝たふり。「もう寒いやん〜」と布団の中。「まだ早いし寒いし普通は寝てる時間やし〜」と起きない。
 とまあ、常識枠を超えられない私は、八つ当たり的な態度で父に対応することも多々あったりする。
 そういった奥底の本音とは違う【優しくない態度】を取って、傷付けるのは父ではなく実は私自身なのだ。奥底のもっと奥底の私が言う、「課題は『無償の愛』だよ」と。



 
   
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