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  お 尻 プ カ プ カ 事 件  1 ・ み み か と 父

 
 父の認知症の症状がポツポツ現れ出した頃、みみかは生まれた。父にとっての初孫みみか。すでに涙もろくなっていた父は、赤ん坊みみかとの初対面でグスグスと鼻を鳴らしながら、喜びに顔をほころばせていた。
 今に比べれば当時の症状は、病院へ行くための保険証を忘れてしまったり、留守の間にかかってきた電話のことを、父からその本人に伝えられなかったりなど、それはたまに起きる出来事で特に目立つこともなく、生活にもひどく支障が出るようなことはなかった。それなりの判断力や認識力、それに行動力も持ち合わせていたその頃の父。みみかのオムツ換えや哺乳瓶での授乳など、今では決して出来ないであろう様々なお世話を、当時はとてもまめにやってくれた。みみかが生まれてからしばらくは、父母とともに実家で暮らしていたので、ヨチヨチ歩きの頃になると、父はみみかの手を引いて毎日のように散歩をした。
 喋れるようになったみみかが「じいじぃ〜!」と呼べば、待っていたかのように「ホォーイ!」と返事が遠くからでも返ってきた。「じいじぃ〜!」と「ホォーイ!」がこだまし合い、父のその声はやがて段々と大きくなり近づいてきて、みみかのいる部屋の前で止まる。まだ小さくて重い引き戸を開けられないみみかの代わりに、父がそーっと戸を開けみみかを抱き上げ外に出してやる。「じいじぃ〜!」と呼べば、カワイイ孫のため一肌も二肌も脱いでくれることを知っているみみかであった。
 なんだかまるで、マンガちびまる子ちゃんの「まる子」と「友蔵」のようである。「じいじぃ〜!」と呼ぶみみかと「ホォーイ!」と答える父、確かに干支も同じ血液型も同じ、ある占いでは仲良しこよしの間柄。この二人の間には何とも言えない絆がある。
 みみかの物心がつき始めるのと比例するように、父の認知症の症状は変化して行った。そして、父の言葉にならない気持ちを読み取るかのように、成長したみみかがそれに反応し連動するという出来事が多々あった。クリアでピュアなみみかが、ピュアでクリアな父の気持ちや心に反応する、そういった目には見えない繋がりが二人にはある。

 それは、まだ母が働いていて、実家から父が一人で電車を使い、我が家にやって来れた時期のこと。我が家での時間を過ごした父が帰宅する夕方、最寄の駅へみみかと一緒に父を送りに行くのが常だった。父が電車に乗り込むのを確認するまで、私とみみかは絶対に帰らなかった。切符を買うことやその運賃がいくらかなど、父がちゃんと出来るのか理解しているのか、ずいぶん怪しくなってきていたからだ。それに、切符を気にしては座席から立ち上がりポケットのあちらこちらを探る父、そんな行動も出始めていた時期だった。
 私たちに向かって軽く手を振り電車に乗り込む父。発車の合図とともに扉が閉まり動き出す・・・と、決まってみみかがシクシク泣き始める。父を乗せた電車がやがて遠く小さくなると、私にしがみついて号泣することもあった。今まで一緒に遊んでいた相手が帰るときの、さびしくて泣く子供のような反応かと最初は思ったが、毎回みみかは同じ反応を見せた。
 小さい時から、訳もなく必要以上に大げさには泣かないみみか。
理由を聞いてもいっこうに分からなかった。みみか自身もどうしてそうなるのか分からないようだったし、もちろん説明も出来なかった。ただ漠然と『父の不安を感じるのかな?』そんな風に私は思っていた。おそらく、きっと、そうだったんだと思う。
 実際、私自身にも不安げな父の気持ちが感じられるような気はしていた。電車に乗り込む父の姿からは、何とも心細げな雰囲気が漂っていた。今思うとこの頃の父は、電車を使うということにかなりのストレスとプレッシャーを抱えていたのだろう。(それでも・・・来たかったんだろうな)
 ちゃんと切符を持っているかなど、今まで当たり前に出来ていたことが、出来なくなり始めた時期の父だった。そんな父の表面にはまだ現れていない、言葉にはならない心の不安や気持ちを、ピュアなみみかは感じて泣いていたのだろう。それは、私たちに対して父の変わり行く現状を、みみかが父の代わりに訴えて(伝えて)くれていたのかも知れなかった。



 
   
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