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  正 体 は ?  2 ・ 所 有 欲 と 物 欲


 私の突っ込みはさておき、いろんな物を父から遠ざけなければならなくなった昨今である。何故なら、父によって移動させられた『お宝』が無事発見されたり、元の場所に戻ってくるとは限らないからだ。時には、とても想像も出来ないような厄介な場所(私たちはその場所を異次元空間と呼ぶ)に、『お宝』が隠される場合がある。異次元空間に放り込まれたら最後、超人/父のマジック・イリュージョンが開催されるまで、それを取り出すことは難しい。
 生活に特に必要のない『お宝』の場合には、その出現をいつまで待ってもいいのだが、生活に支障の出るような『お宝』の場合にはそうはいかない。いざ出かけようと思い、いつもの置き場所に父の外出用の帽子を探すが無い。寒そうなので、マフラーと手袋をと思って引出しを引くが無い。チャンネルを変えようと、置いてたはずのテーブルの上を探すが無い。気が付けば、いつの間にか全員総出の『宝探しゲーム』開始となっている。
 だから、自分の身の回りの物に興味を持ち始めた子供への対処の如く、父の関心を引きそうな『物』、隠されては生活に支障を来たすような『物』は、私たちの手によって、父から遠ざけられ片付けられる(隠される)ようになった。
 我が家では、数段から成るプラスチック製の引出しに、父用と母用それぞれの衣類を分けて収納していた。父用の引出しを引けば、父にとっての『自分の物』がそこにあり、自由にそれを取り出すことが出来ていた。それは、父にとって『自分の物』という『所有物』に出会える、心ワクワクの感動の瞬間だった。かつては、自分の物に父の名前が書かれることを、『そんな子供みたいなこと』と嫌がっていた父である。しかし今は、自分の名前が書かれた『物』を見ると、父は喜ぶようになった。
 自分の名前と文字を覚えた小さい子供が認識するように、『名前』=『自分の物』だという象徴に、父はあからさまに反応するようになった。父の中の『所有欲』に対する変化。これも、【身に付けたものを脱ぎ捨てる段階過程】の一場面だと、私は強く感じた。
 子供のように『所有欲』を剥き出しにし始めた父は、『自分の物』をやたらと取り出しては隠し、身に付けておきたい気持ちからか、服を重ね着するようになった。(もちろん、服装の観念や感覚や認識の低下などの関係もあるが)
 これに対応するため、父に関係するものが、父の目に触れる場所から姿を消して行った。父用の引出しには、最小限の洋服と父に隠されても困らない物(父用の「遊び道具」と私たちは呼ぶ)だけを残した。
 しかし、そのうち母用の引出しもやたらと引き始め、黒やグレーなど『男っぽい』物は、母のセーターでもズボンでも靴下でも、お構いなしに引き出しては取り出し移動させ隠すことが多くなった。黒やグレーは『自分の物』、自分のお気に入りも『自分の物』。『所有欲』同様、今度は父の中の『物欲』に対する変化があらわになった。大人として理性を持った上での『所有欲』・『物欲』から、理性を伴わない子供が持つ本能的な『所有欲』・『物欲』への変化。
 『名前』=『自分の物』の認識が培われる前の幼い子供が、『自分の物は自分の物・人の物も自分の物』といった具合に、他の子の遊び道具をも使うように、父は『名前』=『自分の物』という身に付けた認識さえも【脱ぎ捨て】、『自分の物は自分の物・人の物も自分の物』という子供らしい『物欲』をあらわし始めた。




 
   
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