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  ご 配 慮 あ り が と う


 人間本来の、至ってシンプル生活な父。基本は太陽と共に・・・夜明けの日が昇るころ目を覚まし、夕暮れの日が沈むころ眠くなる。体内時計に忠実な健全生活である。あまりにも早く目を覚まし真っ暗な中をウロウロ、あまりにも早く寝て夜中にパッチリ目が覚めたまま、なんてことも多々あるけれど・・・。
 早いときには、夕食後8時までには寝てしまうこともある。父の熟睡度はとても深く、昼のうたた寝の5分間は父にとっての1時間、夜の30分は父にとっての6時間ほどに値するらしい。あまりにも早く寝てしまいぐっすり眠った父が目を覚ましたときに、私たちがまだ起きて何かをしていると、父はすっかり朝だと勘違いをすることがある。(我が家は特に、平屋造りで間取が続いているため、賑やかな声はもちろん些細な動きの雑音も、敏感な父にはキャッチされてしまう)
 なので、夕食後にデザートを食べたり面白そうなテレビを見入ったりして、私たちはなるべく父の就寝を遅らせようと試みる。
 『せめて9時まで頑張って〜!』そうじゃないと、私たちの用事が遂行されない。
 普段はほとんど、私たちも10時前にはお布団に入る。だから、9時以降のテレビ番組をゆっくりと見ることが出来ない。どうしても見たい時には、父に気付かれぬよう起こさぬよう、音量を小さく絞り私たちも小さくなってこっそりと見る。
 ある日、テレビである番組の宣伝をしていた。私も母もそしてみみかも、3人揃って『見たいなあ〜』そう思った。でも、その番組は夜10時から11時までの放送。それに次の日は、父のデイサービス(以下、デイと省略)の日なのでみんな夜更かししない方がいいかも・・・。『無理やなあ〜』そう言って、3人揃って諦めた。
 その番組放送のある夜、父は夕方ウトウトとうたた寝をして、夜も9時までには寝てしまった。番組のことを諦め忘れていた私たちも、すでにお布団を敷いて寝る準備をしていた。すると、『ガタガタッ』と音がして父がふすまの扉を開けて起きてきた。しっかり目覚め顔の父は、いつもの自分の居場所に座り、私たちと一緒にテレビを見始めた。それが、9時40分頃のこと。
 こんな風に起きてきても、すぐさま布団に戻ることもあるので、私たちはとりあえず現状維持のままテレビも付けっ放しでいた。番組のことを思い出した私たちは、『もしかしたら見られるかも?』そんな淡い期待を持ちつつ様子をうかがった。10時近くになっても、父はジッと座ったままで全く動こうとする気配はない。10時になりチャンネルを変えるとその番組が始まった。
 結局、私たちは父を含めた全員で、見たかった番組を最初から最後まで見ることが出来た。そして、番組を見終わると父は大人しく(時間の勘違いもなく)自分の布団に入り、めでたく全員で就寝の床に付いた。通常では考えられない父の一連の行動に、私たちに見たかった番組を見られるよう、父が配慮してくれたような気がした。
 実際、その後日にもこんなことがあった。いつもみみかが楽しみにしているテレビドラマのある日、夜9時からの放送が始まるや父は、隣りの部屋からのっそり起きてきて、いつもの自分の居場所に座り、みみかと一緒に大人しくテレビに見入った。音量を絞る必要も無く、堂々とお気に入りの番組を見る事が出来たみみかは、「いつもみたいに音ちぃさなくて(小さくなくて)、聞きやすかったワ!」とすっかりご満悦だった。
 『お父さん、ご配慮ありがとう!』
 つくづく思うのは、父のピュアな感覚能力である。言葉で言わずとも聞かずとも、伝わってしまう気持ちや思い。素晴らしい受信感覚と、それに対する無言の配慮に恐れ入ります。



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