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  関 係 性 を 超 え て   2 ・ 恐 れ と 不 安


 ある時、テレビで痴呆症(当時の呼び方)・アルツハイマーの症状のある外人女性の番組を見た。その女性はまだ若かったが、日に日にいろんなことを『忘れて』いった。最初は些細なことだったが、それは段々とひどくなり、料理の手順、野菜の切り方、今日は何曜日なのか、昨日は何をしたのか、さっき何をしたのか、次は何をしなければいけないのか・・・、ついに彼女は一人では何も生活出来なくなってしまった。
 幸いなことに、彼女のそばには温かく彼女を見守る夫がおり、そして自分の気持ちを人に伝えるという彼女の機能だけは、他の機能に比べて低下していかなかった。だから、彼女は痴呆症・アルツハイマーの症状を持つ立場から、周りの人たちにどのように接してもらいたいのか、どのように考えてもらいたいかを伝えたいと、自分自身の言葉を通して語っていた。
● 症状を問題行動と捉えず、それに見合った適応行動に変えていってあげること。
● 【生活】することを重視し、病気という観念に焦点を合わさない。
● 本人の負担(不安)を軽減してあげることを心がける。
 こんな感じだったと思うが、私には大いに役に立った。
 普通からすればおかしいと思える父の行動を見ても、「それはおかしい」と言わないよう心がけられたし、父が取った行動をそのまま生かすことを試みようと思えた。要は、彼のその時の個性として、そのままを否定しない・拒否しないことが大事だと思った。こちらが「おかしい」と言えば本人は不安になる、自分はおかしいのだろうか・・・と。それに、注意して咎めて責め立てて治るものでは決してないし、本人は良かれと思ってやっていることが多く、それ以外の意図的意志はないのだから・・・。
 番組を見終わると、私を変える大きな気付きが浮かんできた。
 【死を迎えるその時に、自分を思いやり愛してくれている温かい存在が、自分のそばに自分の目の前にいてくれる。そう感じることが出来たなら、彼は/彼女は救われ旅立てる。妻である、夫である、娘である、息子であるという関係性を超え、一人の人間として私は彼(父)に対して存在すればいい】。
 やっと分かったことがあった。私が父を受け入れられなかった恐れの正体、私が父に優しく接することの出来なかった不安の正体。それは、【父がいつか私のことを『自分の娘』だと分からなくなってしまうのではないだろうか】、そんな心の奥底にある恐れと不安の思いだったのだ。
 父の症状を目にするたび、この先いつか私のことが分からなくなってしまうのではないか・・・? そんな父を私はちゃんと受け入れることが出来るだろうか・・・。あんなにシャキシャキしていたあの父が、私のことさえ分からなくなってしまう!? そんな父を前に、私は娘としてどうやって接すればいいのだろう・・・と。
 有り難いことにこの気付きのお陰で、私はそんな恐れや不安からすっかり解放されていた。たとえ、父が私を『自分の娘』だと認識出来なくなっていたとしても、(死を迎えるその時だけでなく)いつでも、私は娘としてではなく一人の人間として、父を愛せばいいのだと分かったから。父、娘という関係性を超えて、彼という『存在』に対して私という『存在』が、ただただ「愛しています」「ありがとう」、そう心から伝えればいいのだと思えたから。
 結局の問題は、私がどんな態度でいられるのか、どんな姿勢で臨めるのか、ただそれだけのことだった。


 
   
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