健 気 ( け な げ ) な み み か
夕食後、台所で母と片付けをしていると、隣りの部屋からみみかが血相を変えてやって来た。
「じいじが!みみかがせっかく作った大切なもの・・・破った!!」。そう言うと、めったに泣かないみみかが、私の顔を見るなり『うわーん!』と泣き出した。
「え!何を破ったん!?」と、私と母が慌てて父のいる部屋へ駆け込もうとした。するとそれを制止するように、みみかがしゃくりあげながら私たちに向かってこう言った。
「(じいじを)おこっ・・・た・ら・・アカン・・・で・・・」。私たちの勢い勇んだ姿を見て、私たちが『父を責め父を怒る』とみみかは感じたのだろう。
自分のやった事が理解できない父の前では、泣くことも我慢していたみみか。そんなみみかの父への思いやりの言葉は、・・・何とも健気である。実際、みみかのその言葉に、私も母も父に対して努めて冷静に対応できたと思う。
で、何事があったのかというと、みみかが遊んでいた『折り紙式に作るコロコロ動物』の一匹を、父がビリッと破いてしまったのだ。父にとって、それはキャラメルか何かの包装に見えたらしく、愉快な食いしん坊は剥いたら中から飴でも出てくると思ったようだ。
確かに・・・包み紙のように思えなくもないなあ。
孫に与えた影響に関して、自分の行動の善悪の理解や判断を、もはや父にすることは出来ない。(父にとっては至ってシンプルな本能的行動ゆえに・・・)しかし、みみかの泣きそうな表情やショックを受けた様子や慌てた様子、そんなカワイイ孫≠ナあるみみかの一連の様子に、父自身も少なからず戸惑いや心配の表情をあらわす。
そのことをちゃんと知っているみみか、取り残された動物たちを救出するため、再び父のいる部屋に戻り、涙を堪えながらおもちゃのお片付けをした。その後、私のところへやって来て、(よっぽどお気に入りの物だったらしく)ショックの余韻から、父に見えないようひとしきり号泣し落ち着きを取り戻した。うーん・・・何とも健気である。
以前、田舎に帰省中、母と祖母と父の3人で手作りロウソクを体験しに行ったそうだ。その時も、綺麗で可愛い美味しそうな出来栄えのロウソクを、父は手にとって自分の口に運ぼうとした。驚いた母と祖母が「アッ!それは食べられへんよ!」と同時に大声を出したものだから、父の方も驚いて手が止まった。
今回も、このコロコロ動物を見た母の頭の中では、『キャラメルに見えるなあ〜、お父さん間違えへんかなあ』などとチラッとは思っていたらしく、「あの時みみかに言えばよかったなあ〜」と後悔の弁。みみかも後になって「そう言えば、じいじ動物の一匹を自分の耳に近づけて、カラカラって振ってたわ」と言う。(もちろん音はならない)「でも、その時から中に何かあるんちゃうかって思ってたんやわ〜」と、みみかも納得。
理性よりと本能で動く父である。『食べ物に見えて間違えそうな物やおもちゃは、父/じいじには見せないように心がけましょう!』と3人で反省。
幸い、ビリッという音がしたわりには、みみかの大切なコロコロ動物はそれほど破れておらず「何であんなに音がしたんやろう?」「しかもペチャンコになってたはずやのに、何でかふっくら治ってるし!?」と首をかしげるみみか。
それはね・・・きっと、カワイイ孫≠フため超人じいじが魔法を使ったのでしょうよ!
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