僕
の ほ う が 強 い ん だ ぞ ! 1 ・ 『 や ん ち ゃ 』 な 側 面
男の子が成長する過程で身に付け発揮する『やんちゃ』な側面、力強さを誇示したい自己顕示欲。父のプライドの強さと比例してこの側面は現れる。
それが善い風に現れたなら、たとえば、重い買物袋を両手に持って『こんなにたくさん重いのに持てるんだぞ!』と無言のアピール。
それが悪い風に現れたなら、たとえば、思い通りに行かない歯がゆさや、上手くコミュニケーションが取れない苛立ちを、怒りに任せて『腕力』で私たちにぶつけてくる。
私たちは、どんな場合も最初は【言葉】という道具でコミュニケーションを図ろうとする。しかし、『やんちゃ』な側面が悪い風に現れている時、父は怒りのシャッターを下ろしてしまい、私たちのどんな善き言葉も遮断して受け付けない。
たとえ受け付けたとしても、怒りのシャッターを通した善き言葉は『悪意の言葉』または『不愉快な言葉』に変わってしまうようで、何を言ってもお手上げ状態に入ってしまう。
そうなると、私たちが取る次なる方法は、何を言っても怒る父の態度を相手にしない、【無視】という方法である。この【無視】という方法の前に、正論に感情を交えて父に訴えかける(言い返す)、【逆切れ】という方法がある。(母は往々にして、この【逆切れ】を通した手順を踏んでしまう)
相手の土俵に上がったが最後、交わる事のないやり取りと、繰り返す理解不能の果てしない闘いが始まる。残る結果は、互いの疲労である。ゆえに、【無視】することで父の土俵への誘惑を回避する。
しかし、【無視】によっていつも全てが治まるわけではない。私たちが【無視】して逃げることによって、父の怒りは発散(表現)出来ないままやり場を失い、怒りのシャッターがずっと閉じられたままの状態が続く。そういったときは必ず、父はしつこく相手を追いかける。こちらの【逆切れ】を誘うように発破をかけ、土俵に向き合うように仕向ける。
ある時、母がとった【無視】の方法に、怒りの矛先を私に変更した父は、理解不能の言葉で何やら私にいちゃもんをつけてきた。努めて穏やかに普通の会話を続ける私、笑いながら父を相手にすると、怒り発散とばかりに父はシャッターをブチ破って私に向かってきた。
『仕方が無い、お相手致しましょう』
私は父の行動を観察がてら相手になってみることにした。言葉でどうにもならない父は、『分かってるのか!』と言うような態度で私を何度も突っついて来た。それほど激しいものではないのでやんわり受け止めていると、それに激情したのか更に怒り心頭の面持ちに変わった。父の変化を見て、相手にならない【無視】に方向転換した方が得策と思い、私はすばやく部屋から逃げ出した。
すると、いつもとは違う軽やかな動きで、父は私を追いかけてきた。土俵に完全に乗っていない私は、(そんな気はさらさら無いので)ずっと父にやり返さないでいた。戦闘体制にあった父には、この態度も気に入らなかったらしい。追いかけて私を引きずるようにしがみつき、逃げる私を自分の方へ引き寄せようとした。
うん、確かに力はある。今も父に掴まれた私の腕には、うっ血して青くなった痕が残っている。でもね、たぶん勝てると思うんだあ・・・。突っつかれて、わざと突き飛ばされたようにしてたんだよね、私。
そう、引きずる力も結構ある。ちょうどしがみつくものが無ければ、私も引きずられていたかも知れない。でもね、たぶん倒せると思うんだあ・・・。引っ張られて、でもこっちが引っ張ったら、きっとバランス崩してふらつくだろうな、お父さん。
格闘(のふり)して観察の結果、父から強く感じたのは『僕のほうが強いんだぞ!』『僕が一番強いんだぞ!』という、『やんちゃ』な側面の父の思いだった。
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