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  人 を 見 な が ら 食 事 作 法


 今の父は、食事作法も分からなくなっている事柄が多い。食パンを箸で食べたり、お茶をひたすら混ぜ混ぜしたり、混ぜるべきものでないものを移して混ぜてしまったりなど、ゴーイングマイウェイで我が道の食事作法を通す時もある。しかし、分からなくて困った時は『チラッチラッ』と周りの人を見て、それを真似て修正したりすることもある。ただ、見た人が父と違うものを食べていたり、しょう油やソース用などの小皿が別にあったり、箸やスプーンやフォークなど道具がたくさんあると混乱してしまう。
 なので、我が家ではなるべく父と同じメニュー同じ状態で食事をしている。父が混乱して困っている時は、口には出さず動作で見せてあげている。(自我とプライドがあるため、口に出して指摘や教授すると怒ることもあるので・・・)それが功を奏することもあるが、ダメな時はダメである。
 食パンを箸で食べることも、箸を使うこと自体『脳の活性化!』と思えばOK!お椀やお皿を持ち上げないで行儀悪く食べることも、国が変わればお椀やお皿を持ち上げて食べること自体行儀の悪いこと。だから、『その人にとって食べやすい食べ方が一番!』と、食事作法の新しい価値観だと思えばOK!

 数年前・・・5年以上昔のことだろうか、結婚式の披露宴に父一人で出席しなければならないことがあった。その頃は、今より随分いろんなことが出来それなりにこなせる事も多かった。しかし、食事作法については、すでに若干脱ぎ捨てていく段階に入っていた。父の兄弟たちも一緒のテーブルだということもあったので、母は父の様子を説明して兄弟たちに父を託した。
 披露宴会場まで一人では行けない父に同行していた母は、それが終わるのを待っていた。披露宴が無事終了し、会場から出てきた父は母の顔を見たとたん、ポロポロと涙をこぼして泣いた。考えてみれば、披露宴ほどややこしく込み入った食事作法が要求される場面はない。
 父はさぞかし混乱したのだろう、美味しいはずの食事も安心して味わえなかったのだろう。年に何度と会える兄弟たちではないし、ましてや一緒に生活していないから父の症状や状態を深く理解できるはずもない。頼れる母と離れ、一人で食事をしなければならない環境は、きっと不安で不安で仕方がなかっただろう。
 父一人での食事に、私たちにも『いけるかな?無理かな?』と心配の気持ちもあったが、兄弟たちに会えることを楽しみにしていて、父自身『一人で出席する』という気持ちもあったので、当時は試してみることにした。今は父の位置する段階をはっきり理解している私たちなので、父一人をそのような状況に置くことはもちろんない。だけど、認知症のこういった変化やその人が現在位置する段階を知るには、実際試してみなきゃ分からないし確認できないことも確か。
 当時の、母を見て涙をポロポロこぼした父の反応の結果から、私たちは父の食事作法と単独行動の可能範囲、そういった父の段階の位置を確認し理解し、今後の対応に繋げることが出来たのだった。

      

 
   
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