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  『 偏  見 』


私の体の硬直は、ある意味バロメーターのようだった。
固まる私の手を、何かしらの『壁』を心に持つ人が握り、見えない何かに導かれるように『心の壁』が取り去られたとき、その『壁』の奥にあった『愛』は流れ出し私の体は反応する、そんな感じだった。

特定の誰かの前で私が硬直する時、やはり何かしら心に『壁』を持つ人の前でそうなることが多かった。
『壁』の種類や内容は人それぞれ違ったが、やはり『愛』を現すには流れさせるには、『心の壁』は障害となっているように思われた。

ある日、興味深い出来事があった。
硬直した私の手を、二人の人間が握ってくれていた。
しばらくすると、私の右の手だけが自由に動くようになった。
左手と体全体は、ピクリとも動かなかった。
今度は、逆の手をそれぞれが握ってみた。
すると、今度は左の手だけがすぐに動いた。

動くほうの手を握っていた者は、変調する私のそのままを素直に認め受け入れてくれていた人であった。
そして、動かなかったほうの手を握っていた者は、私ととても仲の良い人間だったのだが、突然変調したこのような状態の私に戸惑い内心訝しがっていた。
だから、何度やっても動かない手のほうを握っていた彼女は、私が自分の意志でそうしているのだと疑った。

彼女は納得しないかも知れないが、自分の意志でやっているのではないと言うことは、私の中では確信済みだった。
どんなに仲が良くても、硬直した私を『偏見』の目で見て、そんな状態の私を受け入れられない場合、そういった気持ちは一種の『壁』となって、私の硬直を解かすことは出来ないのだと思った。

まるで実験のようなこの時の硬直は、私の体は固まったままで手だけが反応した。
私に対する受け入れや『偏見』の極端な二人が、左右の私の手を握っている結果として、『愛』が流れたほうの手は動き、『壁』があったほうの手は動かなかったのだ。

実験終了後、体が自由になった私は、他の二人と一緒に移動のため道を歩いていた。
すると突然、私の歩む速度がだんだんと遅くなり、やがて道の真ん中で止まってしまった。
私の前を歩く『偏見』を持つ彼女のことを何気に見つめながら歩いていた私は、足が急に重力を感じたかのように重くなり始め、やがて動かせなくなり固まってしまったのだ。
あまりに突然の出来事に、何がなんだか分からず動揺した。
が、いつものようにあれこれと思考を巡らせ解答を探してみた。

すると、【『偏見』を持っている彼女に対して祈ること】、そういう気持ちが浮かんできた。
『偏見』を持つ相手が自分の目の前に現われたとしても、そのこと自体が決して悪ではないのだから、私はそのままの相手をただ愛し祈ればいいんだ・・・、そう思った。
そう思った途端、やはり私の体はいつものように解き放たれた。

『偏見』を持つ相手に、私自身が『偏見』で持って対応してはいけない。
なるほど、【彼女の問題ではなく私の問題かあ!】と、私は妙に納得した。
この実験のまとめは、実に素晴らしい気付きを私に与えてくれたのだった。


 
   
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