35 

 

  や る べ き こ と


私はまた、この体験からこんな風にも感じていた。
大きな繋がりや流れを引き継いだ『自分の存在』を今ここに認めたとき、初めてその人が断ち切ることの出来る『繰り返される鎖』がある。
その『繰り返される鎖』の存在に気付きその人がそれを断ち切れば、『繰り返される鎖』は無くなり後に繋がることはもうない。
これは、人類にとってとても重要なことだ。

その家系によって引き継いできた『繰り返される鎖』すなわち業があるとして、その存在に家系の中の誰が気付き断ち切った時、あとに続く者たちにその業は決して引き継がれない。
さらに言えば、『人間には罪がある』。
そんな根強い原罪意識の鎖をある時誰かが切ったなら、そこから『罪など何もない』の意識が広がりを見せるだろう。
今、それに気付き、その鎖を切る人の数がどんどん増えるほど、この世界は光へと姿を変えるだろう・・・。
そして、この『繰り返される鎖』を断ち切る方法はただ一つ。
『繰り返される鎖』自体に、感謝するしかないのだと私は思うのだった。

このような体験によって、私はここに残った理由であった、自分自身を見つめる必要そして祈る必要の意味合いを、ほんの少し見出せたような気がした。
自分自身を見つめるということは、大きな(父母を含んだ先祖との)繋がりや流れを引き継いだ『自分の存在』を認めると言うことでもあり、そこと繋がっているさまざまなもの(良いも悪いも)に感謝する必要があるのだと思った。
そして、何ものも裁くことでは解決出来ないこと、解決の糸口は祈ることなのだと私は思った。
祈り、そして受け入れ、感謝し、愛に変えることでしか、問題は解決しないのだと・・・。

私が夫と出会い結婚し、彼に引き継がれている大きな流れと縁を持つということは、私個人にとってもきっと大きな意味があったのだろう。
夫の元へ帰るということを考えると、もぞもぞと落ち着かない不安が出てきて、前へ進めない気がしたのにも、何か意味があったのかも知れなかった。
私をここから帰らせないための、【ここでやるべきことがある!】と目には見えない仕組みや計画、人間智では計り知ることの出来ない神の意図、そういったものからの象徴的なサインだったのかも知れなかった。

ここでやるべきこと・・・それにはいろいろなことが考えられたが、人間智では計り知れない世界、理解不能の流れ、そういった世界や流れがあることを知ってしまった私には、もうすでに自分で考える余地など残されていなかった。
だからこそ、私はあの神への全託の祈り・・・『神の御心のままに』と祈るしかなかったのだ。
そして、その祈りをすることで、私や夫や両親やその先祖そういった全てを含んだ全人類にとって、私という存在がどうぞお役に立ちますようにと願っていた。
いつしか・・・私のやるべきことは“祈ること”そう思えていた。


 
   
 35 




 

 

虹色アーチトップページへ