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  感 謝


『御心のままに』そういう祈りを始めた翌朝、私はいつものように祈りの道を一人帰ろうとしていた。
まだ夜も明けやらぬ中、私は突然、まるで強烈なスポットライトの光を浴びせられたような感覚になった。
そして、矢つぎ早にその思いは私の元へとやって来た。
『生きていて良かった!』
『生まれて良かった!』
『私をこの世に生んでくれてありがとう!』・・・と。
その思いを受信した私は、目にいっぱい涙を溜めてその場にうずくまってしまった。

『生きていて良かった』という思いは、もっとも辛い時期の「死んでしまいたい・・・」そう思っていた頃の私の気持ちを照らし出し救ってくれた。
『生まれて良かった』という思いは、「今ここに自分が存在すること」の喜びをふつふつと湧き上がらせ、今に繋がる自分を祝福してくれた。
『私をこの世に生んでくれてありがとう』という思いは、私をこの世に送り出してくれた父母への感謝の気持ちで心をいっぱいに満たしてくれた。

溢れ出る涙を抑えられず、オンオンと号泣しながら祈りの坂道を駆け下りる私は、本当に闇の中にただ自分だけが光に包まれているように感じていた。
それから部屋に帰るなり、私は湧き出る喜びを胸に、すぐさま父母に手紙を書いた。
『生まれて来て良かった、生んでくれてありがとう!』と。
誰よりも私を愛してくれている父母へ、生まれて初めての感謝の手紙だった・・・。

それまでの私は、親に対して憎しみも恨むようなことも何も無かった。
しかし、だからと言って特別感謝するということも無かった。
もちろん、私を心配し愛しくれる父母に対して、感謝に似た気持ちを持っていないわけではなかったが、あらためて『親に感謝』と言われると、一体どういうことが感謝なのか私には分からなかった。
だから、『親に感謝』ということを本当の意味で出来てはいないんだと自分を責め、最後には罪の意識をも感じ続けていた。

『生まれて良かった』という思いで、「今ここに自分が存在すること」の喜びを感じ、今に繋がる自分を祝福できたその時、私はそれまでの自分の全てを肯定し、認め、受け入れることが出来た。
『ああ・・・!私で良かった!』心の奥底から本当にそう思えた。
私自身を、私は本当に深く愛せたのだ。
そして、その時その瞬間、私は神様が現れたのを感じた。
私を包んでいたあの光の正体は、間違いなく神の光だったと今でも私には思えるのだ。

『今ここに自分は存在する』そう地に足をしっかりつけて宣言(自覚)出来たとき、その大元にある『親に感謝』とは自然に繋がっているものなのだと、私はこの体験で思えた。
そしてそれは、 その大元の先にある、ひいては大きな意味での親である『神への感謝』にも繋がるのだと思えた。
よくよく考えてみると、自分の存在を否定しているうちは、それまでの大きな(父母を含んだ先祖との)繋がりや流れを断ち切ることになり、ましてや大元の先の神様など感じられるはずもないのだ。

『私が今ここにこの瞬間存在する』ということ。
そのために、そしてそれを私が理解するために、このような状況を許してくれた夫、父母、そして全てのものに対して、私はあらためて感謝することが出来た。
そして、目には見えない感謝すべき守護霊やご先祖様など、そういったものと自分はちゃんと繋がっているのだと思えた。
『私は許されている、導かれている、守られている!』そう感謝せずにはいられなかった。

そういった感謝の思いは、私にとって大きな気付きを与えてくれた。
それは【全ての人は、誰もが皆同じように許され、導かれ、守られている】ということだった。


 
   
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