31 

 

  鳥 か ご


ある日、私は頭に浮かんだG氏に意識を巡らせていた。
彼には大きな使命があった。
人々を神に導くという尊い役割である。
そして実際、彼はそれまでにその役割を大いに果たして来ていた。
彼が素晴らしい者として人々から尊敬されに崇められることからも、それは頷けることだった。

しかし、この崇めるという行為は、時に人を錯覚に陥らせてしまうことがあるように感じた。
実際、彼を雲の上の存在として崇め奉り、自分と何ら変わらない人間であるという事実を忘れてしまっているかのように見える人々を目にすることがあった。
こういうことにより等身大の彼の人間性は孤立し、彼はある意味、孤独な人間となってしまっているのではないだろうか?
私はG氏に対して、そんな風に感じていた。

かつて、私はG氏に一度だけ抱擁されたことがあった。
変な意味からでは無く、「オーヨシヨシ」・・・そんな類の抱擁だった。
親子以上に年の離れたG氏に抱擁された私は、しかしその時、彼の中にある男性的な抱擁を感じたのだ。
G氏の年齢からして、一体どこにそのような男性的なものがあるというのだろう?
私はその時、心で感じたこの男性的なものと「オーヨシヨシ」という表面的なものとのギャップに、ただ戸惑っていた。

そんな事を思い出していると、以前B氏が私に言った「父親的な感覚で・・・」のフレーズが、私の頭の中に浮かんで来た。
男性的な抱擁と父親的な感覚、この二つには交じり合う何かがあるような気がした。
すると、私の頭の中に『鳥かご』のイメージが浮かんだ。
【もし、人間の手から成る、または人間そのものの存在が、『鳥かご』のようになってしまっていたとしたら・・・?】そんな例え話が浮かんだ私は、自分がその『鳥かご』の中にいることを想像してみた。

男性的な抱擁と父親的な感覚からなる人間の手やその存在そのものが、囲いを作り『鳥かご』となって中の鳥である私を守る。
守られている私はいつしか、その心地よさに慣れくつろぎ、自分が自分の羽根で飛べることを忘れてしまうかも知れない。
そしてそのうち、私はその『鳥かご』から飛び立つ勇気さえも失ってしまうかも知れない。
守ってくれる『鳥かご』に依存し麻痺した結果・・・。

自分の周りを囲っているものが、人間の手や人間そのものの『鳥かご』であり続ける限り、私はずっと『鳥かご』の中の鳥のまま・・・、窮屈で息苦しいと感じた頃には時すでに遅し、その『鳥かご』から外の広い世界に自由に羽ばたき解放されることは出来ないのかも知れない。

『人間が人間を囲ってはいけない!』
囲った人間は囲われた人間に本来の自分の力を忘れさせ、依頼心や依存心を目の前にいる自分に持たせてしまう可能性がある。
お互いが見つめ合うことでお互いしか見えなくなり、視野が狭くなって周りと分離してしまい、一種の麻痺(迷い)を起すことだってあり得るかも知れない。
自我人間の手には、人を救う力など決して無いのだから・・・と、私は思った。

これは、あの男性的な抱擁に対する戸惑いと、B氏の言った父親的な感覚・・・に対する違和感、それらが交じり合う答えなのかも知れなかった。
考えてみれば、男性的な抱擁を感じさせたG氏や、父親的な感覚で・・・と言ったB氏の周りには、それに反応するかように依頼心や依存心を持つ女性たちが集まっているように、私には見えるのだった。


 
   
 31 




 

 

虹色アーチトップページへ