奥 深 い 本 音
私の抱いて欲しい宣言からも、B氏は変わらずの態度で私に接してくれていた。
しかし、私の方はと言うと、自分の内を出すだけ出した他に何もなく、これ以上B氏とどう接していいのか分からなくなっていた。
私とB氏との間には何とも言えない微妙な雰囲気が生まれ、ある程度の距離が保たれることになった。
B氏とのコミュニケーションが、そこでの唯一の楽しみでもあったが今さら仕方なかった。
この恋心の行く末は一体どうなるのやら?どんな結末を迎えるのやら?全く予想も想像も出来ないお手上げ状態の私だった。
それでも、相変わらず早朝からの祈りは続けていた。
気が付けばB氏との距離を取ることで、私はまた天に向かって祈るしか無くなってしまっていたのだ。
いくつかの祈りの場の中で、戦争で自らの命を捧げ亡くなった人たちを祀っている場所があった。
私はそこへも頻繁に足を運び祈りを捧げていた。
ある日、私は他の人々が捧げるそこでの祈りの言葉に何かしら違和感を感じる。
『私たちが今こうして在るのは、あなた方が自らの尊い命を犠牲にし勇敢なる戦いがあったからです。
私たちはあなた方に愛を送り、また感謝を捧げます・・・』
ちゃんとした文句は覚えていないが、私は厳かで(亡くなった)彼らを猛々しく扱って祈る雰囲気に、しっくりこない何かを感じた。
祀られた碑を前にして、私は表面的ではない彼らのもっと奥深い本音の部分に、本当は触れなきゃいけないような気がしてならなかった。
いつしか私は、そんな風に思いを巡らせながら祈っていた。
すると、いろいろな思いが私の中で溢れ出てきた。
勇敢に突き進み自らの命を散らすその瞬間まで、彼らは何を感じ何を思ったのだろう?
嫌とは言えないあの時代、それでも心は行くことを拒んでいた者がたくさんいただろう。
愛する人たち ― それは、親だったかも知れない、口づけを交わしたことさえ無い恋人だったかも知れない、まだ話すことも出来ない可愛い自分の子供だったのかも知れない
― 、それらに対する想いを胸の中にしまい込み、彼らは旅立ったのかも知れなかった。
そんな時代の流れと心の本音との矛盾を、彼らは怒りのパワーに変えて突進して行ったのかも知れない。
そして、きっと彼らは感じただろう。
死というものに対する恐怖心、愛する人たちに対する(残して逝くという)罪の意識、孤独感、やりきれない数々の思い・・・。
『愛する人たちとずっと一緒に居たかった!
愛する女性を自分のこの胸に一度でもいいから抱きたかった!
本当は死にたくなんかない!!』
こういった本音の部分での無念さ、切なさ、悔しさを理解して、「そう、辛かったね。悔しかったね。」そんな風に言ってあげることが、本当の供養になるのではないかと私は思った。
この時から、私の中でその場での祈り方が変わっていった。
(注) 私が感じた奥深い本音、これらを含めた祈りをそこではきちんと捧げられていると思う。
ただ、その当時の私にはそれを読み取る力が無かっただけであり、読み取る力が無かったその時期の私だからこそ、こういった気付きが必要だったのだろう。
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