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  私 の 中 の 存 在


さまざまな感情を味わいながら、私はアルバイトの仕事をまもなく終えようとしていた。
自宅へ帰る日が近づくにつれ『夫の元へ一刻も早く帰って一緒に居たい暮らしたい!』そう思う私と、『私の中の問題はなんら解決してはいない!』そう思う私がいた。
それに、実際『夫の元へ帰る・・・』そう考えると、あの落ち着かない気持ちがもぞもぞと湧いてきた。
自分の居場所を自宅や実家、どこにも見つけられなかったあの気持ち。
そんな気持ちが私の心の中をいっぱいにした。

帰宅予定を10日ほど後に控えたある日。
私の体は突然だるくなり体の内に熱がこもったようになって、動くこともままならず食事も摂れなくなった。
この状態が3日ほど続き、私はその間ほとんど寝たきりになった。
周囲の人たちは、「風邪だね」などと言いながら、あれこれと優しく私のお世話をしてくれていた。
でも、当の本人である私は『風邪じゃない・・・何かがおかしい!』そう心の中で思っていた。

そのうちに、私は何故だかすごく【甘えたい!】という感情を覚えた。
母親に抱っこをせがむ子供のように、私はそばでお世話をしてくれていた女性たちに『抱きしめて欲しい』とお願いをした。
彼女たちは快く、そして温かく私を抱きしめてくれた。
抱きしめられた私は、彼女たちの愛に包まれ安らいだ。
安らぎながら『やっぱり変だ!これは霊的な何かだ!』と、奥底の私は自分の言動を冷静に見つめていた。

周囲の優しい人たちの協力はとても有り難かったが、原因不明の私のだるさはどうしても改善されなかった。
私は身悶えるような苦痛に耐えかね、B氏の元へ相談しに行った。
体のだるさなど原因不明の苦痛を訴える私に、B氏は心を込めて祈ってくれた。
その祈りに包まれると、私はしばらくしてまたあの【甘えたい!】という感情を覚えた。
B氏を前に、今度は父親の膝に抱かれたい子供のような気持ちになった。
そんな子供の気持ちそのままに、「抱っこして欲しい」と私はB氏に頼んだ。
B氏も快く引き受けてくれ、父親のような膝に抱かれた私は、何とも言えない心地よさに包まれ安心した。

母親や父親に【甘えたい!】という感情・・・。
それは、他の誰かのもののようにも私は感じていた。
私の脳裏に、私の妹として生まれてくるはずだった存在が浮かんだ。
母が彼女を宿していた妊娠後期、ある日突然目の前が真っ暗になった。
母子共に危険な状態の中、彼女は母親の命を救った・・・自らの命を捧げて。

私には妹がいるはずだったと、いつ頃だったか聞かされていた。
確かに、2歳ぐらいの私と映る、写真の中の母は大きなお腹をしていた。
思い返せば、大人になるまでの私はずっと感じていた。
その存在は私を見守ってくれていると・・・。
しかし、いつしか目に見えないものは忘れられ、やがて物質世界の生活の中に埋もれてしまい、大人になった私は思い出すこともなくなっていた。

実は、鬱に陥っていた時にも、私は両親に甘えたいという感情が出てくるのを感じていた。
母が仕事で出掛ける時など、鬱の私は淋しいと言って玄関口で泣き崩れ、不安な気持ちを母に訴えた。
当時は、その気持ちがどこから来るのか分からなかった。
でも、もしかしたら・・・という思いもあったので、私はここへ来てからずっと、流産児(水子)のため祀られた場所に足を運んでは、その妹のためにも祈りを捧げていた。

私の母親や父親に【甘えたい!】という感情は、やはりこの妹のものなのでは・・・?
B氏の膝に抱かれながら、『私はこの場所で、まだまだ何かを祈る必要があるのではないか?』 『この苦痛は、まだ帰ってはいけないよと教える、何かしらのサインなのではないだろうか?』そんな風に思った。
そう思った瞬間、私の中で誰かがニッコリ微笑んだような気がした。
それは、『その通り!』 と誰かが私に言っているようにも感じられた。
やっぱりそうか!と確信し、苦痛の原因が分かった私はほっとした。

しかし、ほっとしたのも束の間、私はもう一人別の存在を自分の中に感じた。
子供のように甘えながら、いきなり私は“女”になった。
抱かれているという子供の心地良さから、私は急に “女”として“抱かれたい”という気持ちになる。
『キスして欲しい!』『この男を墜としてやる!』 そんな生々しい激しい女の感情が湧いてきた。
私は自分の中に、【女郎】という存在(性質)を強く感じた。

私のため一生懸命祈ってくれるB氏に抱かれながら、その時私は、自分の中に三つの存在を感じていた。
後日『Tちゃん』と名付けられる私の妹。
そして『冷静な私』。
そして・・・私の中の『お女郎』である。



 
   
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