名 も 知 ら ぬ 彼 女
そんな中、またもや都合で引越しをしなければならなくなった。
荷造り出来ないまま引越しをし、荷物の整理が付かないままの散らかった部屋の中。
私の精神状態はもう限界だった。
今度は、私が夫とは一緒に居られなくなってしまった。
鬱状態にあった私に夫も気付いていて、私はとりあえず実家へ戻ることとなった。
気持ちの上では夫と一緒に居たいし離れたくない!
なのに、一緒に居ると落ち着かない・・・。
なんだかんだと別居状態の生活になり、一緒にいることが出来なかった。
私たちは常に誰かに引き裂かれているのではないだろうか?そんな風に思った。
実際のところ、心当たりがあった。
夫が学生時代に付き合っていて、事故で亡くなったという彼女の存在。
何故だかいつも、私の心の中に彼女の存在があった。
不思議と毎回彼女の話が出ては、別居のきっかけとなっていた。
かつて夫と付き合い始めた頃、『愛する人を失うことが怖い』と言って夫が私の前で一度だけ泣いたことがあった。
夫は、学生時代に自分の彼女そして自分の父親の両方を同時期に失っていたのだ。
父母の仲があまり良くなく楽しくもない家を忘れさせてくれるような、愛する人の存在(=彼女)。
そして、愛したいのに愛すべき父親像を見せてはくれない、酒乱の父親。
愛する人と愛したい人を、最も多感な時期に亡くした夫の悲しみと絶望。
それはきっと、他人には計り知れないものだっただろう。
夫から亡くなった彼女の話を聞いた時、私は愛する人(夫)を想いながら死んでいくという彼女の思いと、自分の姿を重ね合わせ想像した。
彼女の悲しみの想念と私の想像が同化していた。
私はそのような運命に密かな憧れを抱いていたのだ。
それは、私の奥底の悲劇のヒロイン願望と繋がっていたように思う。
最初の別居の時、夫に何か悪い霊でも憑いたのではないかと思ったのは、その彼女の存在を思い出したからだった。
その当時の原因を、彼女の存在から来るものではないかと私は疑っていた。
そういう意味で、『彼女の供養をしたい』と夫に彼女の名前を聞こうとするのだが、いくら聞いても教えてはくれなかった。
彼女の話になると、夫は腫れ物に触れられたかのように怒り出し、何も語ろうとしなかった。
そして、ますます夫は頑なになり、別居状態に入ることとなった。
二度目の別居直前も、『夫に手を合わせてもらいたがっている』だの、『名前も明かされず秘密にされたままの私の存在って一体何なの?』だの、彼女の気持ちらしき声を私は感じていたたまれなくなった。
夫にそういう気持ちを伝えて欲しいと、常に訴えられている気がしていた。
しかし、彼女のことを全く取り合おうとしない夫の態度に為す術はなく、「一体私にどうしろって言うのよ!」と声無き声に、私は言い返したりしていた。
でも結局、私はその声に耐え切れず、夫にそのことを伝えてしまった。
その結果というべきか・・・、二度目の別居が始まることとなった。
日々の気付きもあり、彼女の存在が私たちの別居の直接原因ではないことや、逆に私たちが進むべき方向への導きの担い手となってくれている・・・、いつしかそう思えるようになっていた私だった。
しかし、またもや別居のきっかけが、彼女であることのように思えて正直ショックを受けた。
その上、鬱になり三度目とも言うべき別居状態に入った私は、彼女の存在が夫との仲を邪魔しているという、霊媒師の言葉に再度ショックを受ける。
霊媒師の勧めもあり、私の彼女に対しての百日供養が始まった。
家族とも言葉も交わせず、深い深い闇の世界に入り込んだ私にとって、この供養さえすれば愛する夫のそばに戻れるかもしれないという希望は、まさに一筋の光だった。
どういう事を供養というのか分からないまま、私は毎日必死に祈った。
『あなたの進む足元が暗いのなら、私があなたの足元を照らすお手伝いをしましょう』そう言って、愛の光をイメージしろうそくを灯した。
『一緒に頑張ろう。それぞれの世界でそれぞれの道を進みましょう』そう言いながら、私はひたすら祈っていた。
供養するにも、初めは自分の苦しみから抜け出したい、夫のそばにいられるようになりたいという思いが強かった・・・が、それが次第に変化し始めた。
もしかしたら、私の鬱の苦しみや深い闇は、彼女の苦しみや闇を体験するものなのではないだろうか?
自分の思いは誰かの思い、そして誰かの思いは自分の思いでもある、自他一体の世界。
そんな風に思い始めた私は、ただ純粋に祈るということを始めた。
結果的に、名も知らぬ彼女の存在は、私を目には見えない“祈り”という道へと導いてくれていた。
果たして私は“祈り”の道に導かれ、確かな真理を感じたあの場所へと、数年ぶりに訪れることとなった。
|