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  鬱 に な っ た 私


再び一緒になった私たちは、新しい土地でのスタートを切った。
だが、週に数日実家で過ごさなければならない生活に変わりはなく、その他の問題も見た目には何も変わりなかった。
それに何よりも、私はもう一度やり直そうとしている夫のことを、心の底から信じる事が出来なかった。
信じなくてはと思えば思うほど、相変わらずのいろんな不安が渦を巻き、現象的にも夫を信じる事の出来ないものが目の前に現れては、私の心を引き裂いていった。
今回の夫との生活も、私にとっては結局そういった葛藤との戦いの日々となった。

ちょうどその頃、仕事上の人間関係や男女関係でも、ドロドロとした重い世界が展開していた。
私は、淋しさからの本当の愛ではないと知りながら、自分に好意を寄せてくれている男性に身を委ねてしまったのだ。
それは、泥沼の不倫劇へと発展していった。
私はこのことで、人から執着されるという世界を体験した。
執着心というものは、冷静で穏和な性格だった人の心を粉々に壊してしまう・・・。
その男性は異常なまでに私に執着し、私をそして男性自身を苦しめた。
でもそれは、まるで夫に執着する私自身の投影であるかのようだった。

そこから生まれた罪悪感や苦しみ、夫やその男性に対する不安や恐怖。
それら心の葛藤から目をそらすため、私はいつしか自己逃避を始めた。
慣れない土地、不安な夜を過ごす夫の帰らない独りの部屋で、私はやがて鬱になっていった。

『誰か助けて!』と救いの手を求める私と同じように、やはり救い主を捜し求める霊的なものとの波長が合ってしまい、家の中で落ち武者のイメージを見たり、そういう世界のものを感じるようになった。
霊媒師と呼ばれる人の所へ出向きそれらの供養をしたり、友達のカウンセラーに何度も相談したりと、自分なりにそのような状態を改善しようと試みた。
しかし、努力空しくどんどん私の鬱は深くなっていった。

そのうち、テレビを見ていても画面を見ているわけではなく、気が付けばそこから外れた所をボーッと見つめていたり、自分のやっていることが自分で分からなくなってしまった。
もがきながらも、このままではいけないと思い始め、当時まだ少なかった専門のカウンセリングに通い出した。
が、話を聞いてもらっても解決に至る光は見出せず、処方された薬を飲んでも眠気があるかのように意識はスッキリせず、心の中にある葛藤そのものも決して治まるわけではなかった。
薬によって頭の回転が遅くなり、それに伴って心の葛藤そのもののスピードもただゆっくりとなるだけで、治って欲しいはずの症状は一向に改善しなかった。

そして、私の鬱はさらにひどくなり、なんとも凄まじい世界を体験した。
人が笑っていても何がおかしいのか楽しいのか【全く理解出来ない】という、“笑う”や“楽しい”というものが自分の中に存在しない世界に、私は入り込んでいた。
“笑う”自体、“楽しい”自体が無い・・・真っ暗な深い深い世界。
もちろん、私自身が微笑むことなど無く、家族との会話さえも困難になっていた。
朦朧とした意識の中で、いつしか奥底の私自身が感じていた。
【結局、薬で治るものではない】と。


 
   
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